馬場ゆうきです。8日に衆議院議員辞職願、及び離党届を提出しました。9日に記者会見を開き、私の思いを自分の言葉でお伝えしました。
2期・3年11か月の国政活動でしたが、党派を超えた衆参の議員の諸先輩方や全国の首長、自治体議員をはじめ、北は北海道、南は沖縄まで、多くの皆さまからエールをいただき、感無量でした。
なぜ国会議員だった私が福島市政に挑むのか。そこには強い危機感と「光」があります。2021年、政治家の家系でもない無名の私が、皆さまとゼロから事務所を立ち上げ、街頭に立ち、仲間と歩み、当選することができたのは、皆さまのおかげです。
国会議員になった直後、「10増10減」により福島県の選挙区が減り、私は唯一、東北ブロックの単独比例をお預かりすることとなりました。福島全県、ひいては東北各地のご縁を賜る中で、県都・福島市で活動する機会が再び増えました。
私にとって福島市は、幼稚園から育ち、めばえ、附属、福島高校と青春時代を過ごした大切な場所です。中学時代、県知事公館付近で毎朝「おはよう、若者がんばれ!」と佐藤雄平前知事に気さくに声をかけていただいたことが政治を身近に感じたきっかけです。
記者会見場の「アオウゼ」は高校3年生の時に東日本大震災・原子力災害で被災した場であり、松下政経塾時代には住民自治の理想を追い求め、事業統括者として職員と共に活動した「まちづくりの原点」です。
久しぶりに仲間たちと語り合うと「寂しい、なんだかね」と暗い言葉がこぼれ、まなざしの光が失われつつあることに強い危機感を覚えました。
見て見ぬふりはできません。
たとえ国政を辞してでも、市民と共に希望の未来をつむぎたい。国をも動かす地域のトップリーダーがこの地には必要。私が先陣を切る覚悟で決意しました。
掲げる方向性は三つ。第一に「市民目線の改革」。市政は市民の協力なくして実現しません。第二に「県都福島の力の最大化」。行政都市の強みを活かし、国や県と連携して現場を支え、停滞を打破します。第三に「官民学連携による駅前再開発の早期完成」。大学や若者の力を融合させ、福島の顔を再生します。
見るべきは福島市民です。政党や団体ではなく、市民一人ひとりと真正面から向き合うため、完全無所属、裸一貫で挑みます。
震災から14年。復興は新たな段階に入りました。今こそ市民の心に再び光を灯し、福島の未来を力強く切り拓く時です。至誠一貫、全身全霊で挑みます。どうか希望ある福島を、皆さまと
共につくらせてください。

