SNSでも賛否色々言われましたが、
でもやっぱり、今まで動かなかったことが、少しでも前へ進めたことが嬉しかったです。
当然、まだまだ道半ばですから、とことん向き合います。
一期目の任期3年の内、国会質疑で環境委員会と復興特別委員会で計10回以上取り上げたのが福島の復興、とりわけ中間貯施設に移行した除染土壌の取り扱いです。(都度、質問の角度は変えています)
※図は8回目までですが、その後、9回目、10回目と論戦を続けています。
現状、JESCO法という法律に、「2045年までに県外搬出」と明記されていますが、国内外の理解が得られているとは到底言えません。
私がこの問題に拘るのは、2045年の時のリーダーが困難な決断をしなくてはならないことが決まっている以上、その決断の重みを少しでも減らせる誠意ある努力を、今を生きる私たちが不断の努力でしなくてはならないと思うからです。
今は2024年。
ぎりぎり高校3年生は東日本震災を知っています。しかし高校2年生となると苦しいです。
つまり、もう震災を知らない世代が社会に出てくるということです。彼らに、この矛盾に満ちた理不尽な決断をさせるわけにはいかず、進むも地獄、留まるも地獄の決断を、誰かがしなくてはならない。
そのために、「あいつだったら」と共に歩む政治家が必要で、私はそのために挑みたいと決意し、政治の道を選びました。
以前、政府が処理水の海洋放出を決めた際に、特定の国々から悪意ある風評被害を起こされました。土は目に見えるものですから、水以上に取り扱いは難しくなります。慎重かつ丁寧な議論を進める必要があります。
国際的な理解醸成から、国内の理解醸成という流れがなくては、この問題は到底進められません。
そのためにも、オープンかつ開かれた空間での国際的な研究の担保が必要であると論じました。
しかし、政府は「IAEAに任せている」の一点で、全く見えてきません。
本来なら、セカンドオピニオンが必要だと思いますが、それが進まないなら、せめてIAEAの研究をすぐにでも開始すべきではないかと、一年半、何度も何度も議論し続け、ようやく2023年5月9日に、IAEAの初視察が実現。
もちろん、これで十分とは思っていませんが、震災から13年、ずっと動かなかったことが動いたことは、小さくても確かな前進だと私は思います。
しかし、今度は、IAEAのレポートが待てど暮らせど出てきません。一体何を議論し、展望や課題をどう分析されたのか、見えてきませんでした。
催促し続けて出てきたのはレポートのサマリーでしたが、その和訳には「除去土壌には価値がある」という文がありました。
いや、おかしいと。
除去土壌には価値はありません。
除去土壌の中には、研究として再利用できるものもあると考えられるものもあり、基準値を超えた土は最終処分に送られるものですから、全てに価値があるとは言えないはずです。
明らかに再利用ありきの文章だと思いました。
誤解のないように、サマリーレポートの和訳の修正と、レポート全体の和訳の作成を依頼しました。
本当は、国家事業なわけですから、
第一回のIAEA会合のレポートを見て、
国会でも審議し、次に備え、
第二回を行い、同様なプロセスを経て、最終の第三回となるようにすべきですが、
残念ながら、第一回のレポートが出る前に、第三回目の会合全てが終わってしまい、私たちの懸念などは反映できませんでした。
しかし、レポートの完全和訳の作成は、引き続き行われ、全て公開されました。
何回も何回も質疑するのは、正直あまり気持ちいいものではありません。大臣が変わる度に、話がまたスタート地点に戻り、この時間になんの価値があるのかと絶望感を覚えたこともあります。しかし、未来のために、今の汗をかかなくては、将来に申し訳がたたないと私は思うのです。
質疑中、あまりにも動かない政府に、気持ちが高ぶってしまい、「今の行動が未来をつくります。2045年に、皆さんはここにいますか?」と述べてしまったことがあります。平均年齢が60近い国会の年齢構造を踏まえての指摘です。
しかし、その際、起きたのは笑い声でした。
「失礼だ!」「僕はいるよー」と嘲笑とともに飛んできた野次は忘れません。
これが今の国会なのか・・・そういう議論をしたいわけではないんだよなと。
あれほど無力で、不様で、自分は国会議員に向かないな、故郷の皆さまに申し訳が立たないと思ったことはありませんでした。
ですが、そんな時、思い出した言葉がありました。
素志貫徹。常に志を抱きつつ、懸命に為すべきを為すならば、いかなる困難に出会うとも、道は必ず開けてくる。
松下幸之助さんの言葉です。
レポートの和訳を政府が修正した際、環境省の幹部の方から、「最近、馬場先生の名前を使って意見を言う若手が増えましたよ」と言われました。私が挑み続けることで、同年代や次世代に挑戦の熱伝導が起き、行政の雰囲気が変わりつつあることは、素直にうれしく思います。
野党でも、魂持って行動し続ければ行政は動かせる。福島の復興に与党も野党もなく、お互いの立場の最大化をし、互いに実践者でありたいと、私は願っています。
【2045年、福島の復興を責任を持って前へ進めるのが、政治家馬場ゆうき】
政治家になり、国のために働くと決めたときに立てた志。
たとえ、簡単な道ではなくとも、
挑戦の旗を掲げ、転んでも転んでも、前へ突き進んでまいります。