「笑顔」という新たな福高イズム

学生時代の活動

なぜ人は頑張ることができるのか。どうして人は必死になることができるのだろう。

それは、一人ひとりが幸せになるため、つまり一人ひとりが笑顔になるため、あるいは他の人の笑顔を見るためではないですか。

 

一 私たちに届けられた贈り物

福高には「福高自由(リベラ)主義(リズム)」という言葉がある。これは、一世紀をも超える歳月をかけ、先輩方が私たちまで届けてくれた、言わば贈り物であろう。

「福高には自由がある。」

しかし、この「自由」は一般的に言う、FROMという「~から」の解放を表す自由とは少し異なる面を持つように思える。先輩方が勝ち得てきた「自由」とは単なる束縛からの解放を表すのではなく、より重みのある性質を持っているからだろう。

それは、夢や目標に向かって走り続けることのできる「自由」、つまり目標を実現するための手段の「自由」である。福高の「自由」には、「情熱」と「信頼」という二つの要素が含まれているように思える。

―情熱×信頼=「自由」

目標に対する自ずからの姿勢が情熱になる。そこに「信頼」が結びついた時、「自由」は生まれる。しかし、ここで述べる「信頼」とは、単に先生から生徒という一元的なものを指している訳ではない。それは、二者以上から成り立ち、自分から相手、さらには相手から自分という双方向の「信頼」である。この「信頼関係」を成立させるには、自分が相手から認められる存在にならなければいけないのであり、その判断基準が自律性にあるだろう。まず第一に、自分が「この人になら…」と思われるような自主制と自律制を持たなければ、この「自由」は得られないのだ。

自分で磨く、目標に対する「情熱」と、相手との関わりである「信頼」が、互いに切り離すことのできない福高の自由の本質となっているだろう。

この「自由」は、永い歳月をかけて福高という空間の中に刻み込まれてきた。目には見えない、言わば空気そのものである。伝統とは、形に表せるものではない。形あるものは時の流れに逆らえず、いつかは形を変えてしまう。むしろ、形に表すことのできない「思い」が後世に伝わる伝統となるのだろう。福高の「自由」は私たちに送られた大切な贈り物なのだ。

 

二 情熱を形へ

・権利の行使

先に述べた通り、福高には目標を実現するための手段の「自由」がある。言いかえれば、一人ひとりの持つ情熱を形にすることのできる権利が福高生にはあるということだ。この権利を行使して、福高を支えていくことが福高における生徒会活動なのだろう。

しかし、時折このような言葉を耳にする。

「自由を履き違えている」

これは私たちの「自由」が、俗に言う何でもありの自由と、周りからみなされてしまっているということだろう。私たちは、歴代の先輩方が永い歳月をかけて勝ち得てきたこの権利の本義を理解し、目標に対し行使しなければならない。それが情熱を形にしていくことに繋がるのだ。

・ABS精神

生徒会活動を実際に行う中で核となるのは、会員と運営側(生徒会本部・各種委員会等)の関係であろう。では、理想を主張する会員と、現実的に捉えて円滑さを重要視する運営側の均衡をどのようにしたら保つことができるのであろうか。その答えが、ABS精神である。これはACTIVE BUT SMALLの略式であり、活発でありながら小さな政府という意味を込めている。生徒会活動の主体は会員にあり、その総意を形にするための方法を提示するのが本部の役目である。つまり、各種行事といった形あるものを作りあげるには、会員の情熱が不可欠であり、本部役員はそれを受け止めて方針に反映させなければいけないのだ。

「生の声を聞け」

従来、本部は梅信、投書箱等を用いて、会員からの意見を吸い上げてきた。無論、これは大切なことではあるが、これだけで会員の総意を理解した気になってはいけない。会員からの意見を待つだけではなく、本部が時の話題を、人と人の関係で直接会員に投げかけることが大切になってくる。福高の現状や各種行事等に関心のない人はおらず、意見を求めれば何かしら答えてくれるからだ。皆、“何か”持っているのだ。具体的には本部役員会議を行う前に、会員に対して「300人口頭アンケート」を実施すること等が挙げられるだろう。集められた生の意見を検討し、形作っていったものには会員の意識も高く、進んで協力さえしてくれた。本部が広い視野を持ち、無駄なくACTIVEに活動すれば、会員は自然とこちらに目を向けてくれるのだ。

さらに、各種行事を本部だけで企画や運営をするのではなく、各小委員会や各部活動と協力して行うことにも意義があるだろう。「福高を元気にしたい」という共通意識の中、委員会や部の代表者と共に議論し合うことで、斬新奇抜ながらに密の濃い案を考えることができるのだ。運営の際にも、役割を分担し一致団結して行事に臨むことができるだろう。本部だけが福高を支えているのではない。委員会や部を含めた皆で福高を支え合い、共に行事に取り組み、それぞれの立場を活かしていくSMALLな活動が、福高に順応性をもたらすのだ。

ABS精神は、自分たちにしかできない、福高生主体というレールを敷くための、言わば設計図なのだ。

 ・最高の仲間

情熱を形にしていく際には多くの困難があり、決して一人で成し遂げることはできない。同じ志を持つ仲間の存在が不可欠だ。本気で議論し合える仲間、落ち込んでいる時支え合える仲間、互いを思いやり、互いを高め合うことのできる仲間である。

一人で安易に物事に「けじめ」を付けてはいけない。一人では妥協してしまうことも、仲間の存在がその道を切り開く可能性を秘めているからだ。一人の情熱が仲間に伝染した時、それは物事を動かす最大のエネルギーと成り得る。

一人の情熱が仲間を動かし、仲間との情熱が物事を動かす。

「生の声を伝えろ」

情熱を形にしていく際に、遠慮はいらない。相手を伺い、探り合うのではなく、自分の素直な気持ちや、ありのままの自分を伝えることが、仲間の和を広げ、情熱を形にする武器となり、源動力となるのだ。

・同じ目標、異なる方法

福高は尽きない情熱の泉である。その情熱をどのように形にしていくのか。その方法は、時代や人によって様々だろう。しかし、その中でも変わることのない一つの精神は、福高生一人ひとりの「笑顔」にあるのではないだろうか。情熱は自分、あるいは仲間や先生方といった周りの人の「笑顔」が源泉となる。その揺るがない精神があるからこそ、この時代に、このメンバーでしかできない、自分たちオリジナルの方法で情熱を形作ることができるのだ。たとえ仲間との考えが異なり、すれ違いが生じたとしても、互いが同じ「笑顔」という目標を見据えることができれば、それは新たな情熱を生むことになり、自分と共に成長していくかけがえのない仲間の存在に気づくことができるのだろう。

福高の「今」を、福高生の「志」を、福高生という最高の仲間たちと共に表す。その姿こそが「福高自由主義」であり、後世に伝えるべき「思い」となるのだ。

何十年、何百年、何年経っても、それぞれの時代の「今」を重ね続けていこう。

 

三 おわりに

福高には「自由」という権利があります。

一度しかない高校生活。勉強、部活、学校行事等、自分が「○○な高校生活」と自信を持てるくらい情熱を注げるものを見つけてください。最高の仲間と共に、がむしゃらに目標を追い求める、その「思い」が後世に伝わっていきます。

単に先生方や本部役員、委員会等の方針についていくのが愛校心ではありません。社会の風潮に左右されず、自分の意志を貫く姿勢こそが真の「愛校心」なのです。

周りを見て下さい。仲間たちが自分を見守ってくれています。同時に、自分も誰かを支えていることに気付いていますか。皆で支え合って福島高校は成り立っているのです。

こんな最高の仲間たちと、自分たちにしかできない福高生主体の生徒会活動を行うことができるのです。自分たちにしか作ることのできない最高の「笑顔」を仲間に届けることができるのです。

全ての情熱の源泉は「笑顔」ではありませんか。

「笑顔」という新たな福高イズムをとどろかせる。それが、福高の目指す姿であると私は考えます。

(2010年度 前期生徒会長 馬場雄基)