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日本農国!実は強い日本の農業

1、食べものと私

小さいころ、私は食べものに対して怖い印象を持っていた。それは、私の身体が小さく食も細かったため、周りの人たちから「よく食べろ」と言われ続けてきたからだ。本来、楽しむはずの食事の時間は、私にとっては苦しく辛い時間でもあった。

学校の社会の授業で日本の食について学ぶと、食料自給率が著しく低い問題や農業の後継者不足、外国産に奪われる国産シェアなど課題が山積していることを知り、「日本の農業=弱者」だと将来への不安を感じていた。

 

2、年間9兆円の生産額を誇る日本農業

ところが、今一度日本の農業を調べてみると、弱者どころか産業として魅力のある強者なのではないかと再認識した。日本の農業生産額は、9兆円である。(2020年農林水産統計)また、この額は世界的に見ても8位であり、先進国の中ではアメリカに次ぐ2位である。(2018年FAO)

目からうろことはこのことだ。小さい時から、日本の農業は弱いという印象を想っていただけに、私は世界で見ても50位とか、それ以下だというイメージを持っていた。

日本が9兆円もの農業生産額を創り出せるのは、日本が経済大国であるからだ。戦後、経済が発展していくことに伴い、人々の生活が豊かになり、消費者の購買力があがっていった。食に対しての様々なニーズが増え、流通や小売、加工業も発達した。この食品産業全体の川上に位置しているのが農業である。その他の産業が発達することで、農業は継続的に成長できる。

 

3、先進国最低の食料自給率の裏側

先進国最低の37%。これが「日本食品標準成分表2015」に基づき、農林水産省がHPに掲載している言葉である。

しかし、この自給率という考え方は二つ存在している。食料・農業・農村基本法で向上を目指している指標は「カロリーベース」と「生産額ベース」の自給率である。37%はカロリーベースの話である。一日国民一人当たりの国産供給カロリーを、一人一日当たりの全供給カロリーで割って算出している。2019年度の計算だと、分母が2,443kcal、分子が912kcalとなり37%となる。ここで注意しなくてはならないのが、分母の数字である。2,443kcalという数字は、私たちが摂取しているカロリーではなく、流通に出回った全ての食品の供給カロリーとなっている。つまり、毎日大量に廃棄されるコンビニ食品工場での廃棄分や、レストランなどの食べ残しも含まれている。その量は、年間2759万トン(消費者庁)と言われている。また、一般的に平均の摂取カロリーは、農林水産省のHPによると女性の場合、1400~2000kcal、男性の場合2000~2400kcalとしているため、分母の数字が2,443というのは再検討が必要なのは明らかである。分母が大きければ大きいほど、自給率は下がってしまい、適切な状況判断がしにくくなってしまう。

ちなみに、生産額ベースとは、食料の国内生産額(10.6兆円)を国内消費仕向額(国内の市場に出回った額16.2兆円)で割って算出しており、66%となっている。これは先進国で最低水準ではない。二つの指標があるにもかかわらず、どうやら私はカロリーベースのほうしかイメージしていなかったようだ。

 

4、農業の今と昔

明治時代、日本は農業によって支えられていた。当時のGDPの5割以上を農業生産高が示しており、殖産興業・軍事拡大の財源は農業が支えていた。しかし、この時から今まで、農業の問題の本質は変わっていない。それは大きく二点ある。農業の経営規模が極めて零細であることと、小作問題である。

1875年から1960年は、おおよそ農業就業者1400万人、農業戸数550万戸、農地面積600万ヘクタールであり、一人当たりの農地面積は0.5ヘクタールとなっている。アメリカでは1人で400ヘクタール分を耕し、2000人分の作物をつくれるのに対し、日本では1人で二人分しか作れない計算となっている。これが現在においても変わらない流れである。

小作は地主との階級の問題と捉えられるかもしれないが、これは経済や制度的な問題が根本にある。当時、日本は工業を発展させることが国家目標であった。そのためには安い労働力が必要である。農業だけでは稼げないとなれば、農村から都市にでて労働する人が増えてくる。工業が発展するには、農業を稼げる産業にしてはならなかったのである。さらに、1898年の改正民法では、小作農の土地の賃借権を物権として扱わず、債権として扱うようになった。これにより、小作農に与えられた土地は、自ら主体性をもって耕すものではなく、債権として義務を負うこととなった。

日本の農業を支えているのは、耕している人たちではないだろうか。この本質は決して忘れてはならない。柳田國男も「なぜ、農民は貧なりや」と問い、農業改革に力を入れていた。当時も今も、政府が力を推して説明したがるのは、土地の生産高である。ここだけに注目すれば、小作農が多ければ多いほど数字はよくなり、米価も上がれば上がるだけ良くなるであろう。今日のTPP等で食べものの関税を設定することを求めることも同義である。しかし、明治時代では米価が上がった分、小作農に還元されたかというと決してそうではない。米価の上昇は地主の利益であり、小作農に行き渡っているわけではないのだ。今日においても関税が上がったからと言って、農家が幸せになるという保証はないであろう。一方、柳田は耕作者の生産性向上を目指した。そのために農業改革として3つあげ、土地の改良・方法の改良・品種の改良の必要性を論じていた。1938年の帝国農会報では日本にきた西洋人の言葉を紹介している。「日本はどこにいっても一反あたり何石採れるということを誇らしげに言う。しかし、一人当たりいくらかとは言わない。それがどうしても理解できないのである。」柳田が目指した農業改革は、まさに一人当たりの生産性を捉えていた。

当時から日本の農地は、小さく飛び飛びの場所であることが多かったため、1900年に耕地整理法が施行され、「交換分合」という等しい価値で土地を交換し合う制度ができた。しかし、生産能力が高いところがいい、先祖伝来の土地を渡すことはできないというハードルの高さから、まったく進展することがなく、今に至っている。

このように100年以上たった今でも、農業の問題の本質は進展していないのだ。

 

政府

柳田国男

土地の生産高

目的

耕作者の生産性

・地主は小作農をたくさん雇う

・米価の上昇を願う

手段

・農業改革
(土地改良・方法改良・品種改良)

 

5、福島の現状

福島県は、全国3位である広大な土地を活かし、農業戸数52,270戸(全国3位)、農業収納人口(全国5位)、耕地面積(全国7位)を誇っている。(2015年統計)

農業の生産高は、2010年には2,330億円(全国11位)であったが、2011年の東日本大震災の影響で減少し、その後回復傾向にはあるものの2019年は2,113億円(全国17位)と2010年時を上回ることはできなかった。他の都道府県や東北地方全体が右肩上がりの成長していることを踏まえると厳しい状況であることが読み取れる。

 

しかし、私が注目したい点は、震災後ではなく震災前の2010年の時である。農業戸数、農業従事者、耕地面積でいずれも全国屈指の福島県であるにもかかわらず、生産高になると上位10番目に入れていない。これは、福島県の農業構造に課題があるのではないかと考えられる。福島県は、他のよりも増して生産高に着目した農業を目指す必要があるのではないだろうか。

 

6、求められる対策のポイント4つ

私は、日本農国として福島からできる対策のポイントを4つ掲げたい。その前提として、日本の農業が弱いというイメージではなく、これだけ魅力ある力強い産業なのだと積極的にアピール戦略を打つ。農業という産業は、日本国内で毎年9兆円を超える生産高が生み出され、その価値は右肩上がりである。ましてや、世界に誇る高品質の食材が多い。こうした環境作りを軸として話を進めていく。

 

ⅰ)農業改革と経営改革

柳田が述べていた農業改革を遂行し、一人当たりの生産高の向上を目指す。

土地では、交換分合を丁寧に進め、地区ごとにどんな地区になりたいのか、そのための土地の配分とは何かを繰り返し協議を重ねていく。栽培方法や品種については、ノウハウとテクノロジーの融合を目指し、更なる生産性の向上を目指す。

また、私は柳田の3点(土地の改良・方法の改良・品種の改良)に加えて、経営改革を目指したい。農業が事業として成立するように、民間企業でも取り入れられているマーケティングや、長期及び中期経営計画などを支援し実行する。最近では、6次化産業として、農家自身が流通や販売まですることが善しとされているが、本来はそれぞれが生産・流通・加工・販売などのスペシャリストとして活躍することの方が望ましいのではないだろうか。私は農家の方に話を聞いていた時に「作るプロであり続けたい」という声を聴いた。作るプロに、デザインも商品も販売網も一手に任せようというのは、厳しすぎはしないか。一方で、「消費者の声を聴きたい」として積極的にセミナーの開催や、商品開発をしている農家の声も聞いた。しかし、その方も最後には「僕たちは農家であり、作るプロだ。だから、時期的にもできることとできないことがある。」と述べていた。農業の本質的な課題は、経営的視点であり、ここを強化しなくては、どれだけ6次化産業を推進しても、結局行き詰まるのではないかと危惧している。

 

ⅱ)地方銀行と協働した黒字化奨励金制度

農家への補助金の多くは赤字が出た際の補填などである。赤字であれば補填されるのであれば、生産者は黒字を出そうという気持ちになるだろうか。むしろ、同じ金額であれば、お金を貸して黒字となれば、その金額は返さなくていいとした方がいいのではないであろうか。その際の融資は地方銀行などが担い、地方銀行も行員の評価を融資額と決めつけるのではなく、農家の事業を黒字化することができたか、農家から聞く担当者への声などを定性的に盛り込んで行うことが望ましい。

 

ⅲ)海外とのつながり強化

海外戦略を考える際、一番大切なのは、風評リスクである。そのため、日本の食材が科学的に安全であることを示すためにも、検疫や放射能検査は十分に行われる必要がある。これは日本国民が納得するためではなく、海外から見て日本がどのように映っているかを冷静に考えながら行う必要性があるだろう。

現在、行政が中心となって販売を海外に県産品のセールスを行っているが、これには2つの問題がある。一つは、福島県が県産品をPRする際に、「安心・安全」をアピールしていることだ。安心・安全は消費者が感じることであり、アピールすることではない。生産者としてできることは相手が納得するときまでデータで根拠を示し続けることではないであろうか。また、各都道府県が別々に行うよりも東北や、東日本など、広域レベルの単位でまとめてPRを行った方が世界の市場は確保しやすい。限りある予算を効果的に使うためにも、バラバラにPR戦略をとるのではなく、チーム東北やチーム東日本などで行うことが望ましいと考える。

 

ⅳ)人と農とのつながり強化

アメリカの農業にはなく、日本の農業にある強みは、都市部との距離の近さである。日本には、都心でも比較的近くに農地がある。農とは、作物を育てることと同時に、人の心を育てるものである。土の匂いを感じ、風の音を聞きながら、汗をかくことは人の心を豊かにする。誰もが農業を身近に感じることのできるレンタル農場などを展開していくことも必要である。たくさんの人に愛される農地を築いていくことが求められる。

 

7、さいごに

普段、目にする情報では、日本の将来の食に対して不安を感じさせる報道やPRなどが多い気がするが、そこに何の意味があるのだろうか。食の安全保障というのは、国民に不安を煽ることではない。これは、①平時でも有事でも国民が健康でいられる栄養を確保する、②誰もが買える価格で供給される、③災害時にも安定的に供給しえることである。私たちは、そのために知恵を絞りながら、冷静に考えるべきではないだろうか。

 

私は、日本の農業を学びなおし、目からうろこのことがたくさんあった。そして、日本は農国として素晴らしい力を持っていると確信を持つことができた。

「農業=弱者」というイメージから解き放たれた時、日本農国へと歩みを進めることができるのである。

(2020年3月27日)

 

参考文献

・『日本は世界5位の農業大国』浅川芳裕 講談社2010

・『いま蘇る柳田國男の農政改革』山下一仁 新潮社2018

・『国際公共政策業書10 農業政策』豊田隆 日本経済評論社2003

 

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