【ばばばんvol.33】なにがなんでもやりぬく復興への道

2045年。決断できる政治家になる。

これが、身内親族に政治家がいるわけでもない私が政治を志した原点です。

2045年は、中間貯蔵施設に置かれている福島県の除染土が全て県外搬出されることが法律で明記されている年です。私は、東日本大震災当時は18歳の高校生、2045年は53歳になります。あの時、何もできなかった歯がゆさを決して忘れることはありません。震災を知る世代として、責任をもって決断し、復興をやりぬくことが、私たち世代の使命だと思っています。

 

現在、ふくしま59市町村キャラバンを実施し、県内各地の現場を体感しています。飯館村では、「時が経つごとに、飯舘村がどんな思いでチャレンジしてきたか、どんどん忘れられていくような気がする」と切なる想いを共有しました。また、別の地域では第二期復興創生期間も残り2年半と迫る中、まだまだ終わらない森林再生事業について、「馬場君、普通の山で再生までには40年はかかるぞ」と教わりました。防衛費の関係で復興特別所得税のスキームが大幅に変わることも影響しかねません。目先の物事だけではなく中長期的視野が政治には求められます。

 

国会議員に押し上げていただき、1年8か月。これまで、復興における国際・国内理解を醸成するために、衆議院予算委などにて中間貯蔵施設の土だけでも8回、処理水や甲状腺検査など様々な課題に対して、西村経産大臣や各大臣と論戦を交わしました。

 

私の目線は、ただ一つです。

未来のリーダーが究極の決断をしやすくするために必要な環境を今ここで創り上げる、ことです。

 

時には、与党席から「未来なんていってみなきゃ分からない」「シナリオなんてつくる意味がない」など、心無い野次もでます。でも、2045年に国内外で混乱をきたした場合の責任は、2011年から今まで全ての大臣・議員にもあるのではないでしょうか。悔しさに打ちひしがれてる暇はありません。愚直にやりぬくのが私にとっての責任です。

 

皆さまにとって、復興が完了した状態とは、どのような姿でしょうか?福島第一原子力発電所が更地になることでしょうか?震災遺構として残すことでしょうか?各復興拠点の跡地は?…実はまだ何も決まっていません。

今の決断が問われています。大事なことは、国内的にも、国際的にも、過去にも、未来にも、堂々と行うことです。政府の実践には確たる魂が必要です。廃炉や各復興拠点の絵姿を本気で考え、全体をストーリーとして捉え、臨んでまいります。