①誕生~幼少時代
- 1992年10月15日、福島県郡山市生まれ
- 1歳半から母親と一緒にする「ベビースイミング」を通して、水泳をはじめる。
- 負けず嫌いで、なんでも一番にならないと気が済まなかったらしい。
- 3歳の時、親の転勤で福島市に引っ越し。
- 夢は、祖父ががんで入院していたこともあり「医者」
②小・中学校時代
- 小学校2年生で筋肉のつけすぎであることを理由に、水泳の練習量を落とすようにドクターストップが出る。水泳を辞めるか迷ったが、好きであったため継続することに。
- 小学校5年生から学校の授業を通してYOSAKOIに取り組む。飯野町で行われたUFOの里YOSAKOI祭りで「元気賞」を受賞。
- 中学に入り、水泳部に所属。
- 中学2年生で生徒会副会長に立候補し、当選。
- 夢は、秋田児童連続殺害事件をきっかけに「検察官」を目指す。
③高校時代
- 高校も水泳部に所属。文化祭ではウォーターボーイズと一緒に陸ダンスを披露。
- 在学中、オーストラリア(Freshwater Christian College)へ短期留学。
- 高校1年生から生徒会副会長に立候補し、当選。
- 高校2年生で、生徒会長に立候補・当選。高校生全員が全力で輝ける舞台を整えるためには、「ABS(Active But Small)」活発だけど小さな生徒会が必要だと訴える。*詳しくは文集で寄稿した“「笑顔」という新たな福高イズム″を参照。
- 福島県知事・佐藤雄平さんと新春座談会で対談させていただく。「みんながわくわくする社会を作るためには、社会の仕組みを作る仕事をしなくてはならない」と、政治・行政分野に強い興味を持つ。
- 高校3年生で生徒会長に再選し、112年の歴史の中で最多得票率を獲得。生徒会長時代には、携帯電話に関する高校独自のルール等を策定し、高校生が主体となって授業中と休み時間における携帯電話の使用マナーを明確化。この取り組みが先生・教育委員会等の各関係者への理解につながり、福島県内の高校で初の携帯電話の学内持ち込み可能を実現する。*詳しくは文集で寄稿した”言葉にならない塊”を参照。
- 2011年3月11日。東日本大震災。
- 大学の後期試験を受ける友人と共に勉強していたコミュニティ施設「アオウゼ」にて被災。ライフラインや物質的なダメージも大きかったが、それ以上に、福島第一原子力発電所事故以降に繰り返し報道された「人体に直ちに影響はない」という言葉に不安を覚える。周りの人たちの中には避難する人もいて、自分はどうすればいいのかわからなかった。ただ、会ったこともない多くの方からあらゆる手段を通して支援の声をかけてくださり、ただただ感謝の思いでいっぱいになる。
- 大学進学のため、東北道の復旧と同時に3月下旬に上京を決断。高校の後輩に故郷を離れることをメールで告げた時、「逃げるのですね」と返事があり、迷いを抱く。これから大変になることが目に見えている故郷に、何もできずに自分だけが上京することに整理がつかないまま、高速バスに乗り込む。
④大学時代
- 2011年4月、慶應義塾大学法学部政治学科へ入学。なかなか故郷に帰る勇気も持てず、何をするにもエンジンがつかずに悶々と過ごす中で、大学の掲示板にインターンシップ生の募集チラシ(経済産業省)を見て立ち止まる。学生部と相談し、当時1年生ではあったが、受けてみることを決断。ご縁を頂き、夏休みに経済産業省で2週間のインターン経験を積む。
- 経済産業省のインターン経験から、気持ちが切り替わり、「とにかく社会をみたい」「自分の視野を広げたい」という好奇心を持つようになる。
- 2012年1月、国会議員秘書のインターンシップで、国会議員の考え方を学ぶ。
- 2013年1月、株式会社ワーク・ライフ・バランスでインターンシップで働き方改革を学び、実践する。当時の上司から「梯子をのぼる人(時に踏み外すことがあっても、周りが足場を支えてくれることで常に上を見上げて目標を見失わずに、歯を食いしばって一歩一歩踏みしめ、目標達成までのぼり詰める)」といわれたことが、今でも心に残るうれしかった言葉。
- 2013年6月、内閣府主催「男女共同参画社会づくりに向けての全国会議(@メルパルクホール)」にて、大学生代表として参加。詳しくは、内閣府男女共同参画局ホームページにて。
- 2014年7月、青森白神山地で林業の国際ボランティア
- 2014年8月、カナダILACへ短期留学
- 2014年12月、ベトナムのスラム街にてボランティア
- ゼミ活動では行政学を学び、東日本大震災政策の比較、郵政民営化による社会的影響などについて調査・研究。
⑤銀行員時代
- 2015年4月、三井住友信託銀行に入社。神戸支店・個人営業部門に配属。神戸の街並みに驚き、「福島も大丈夫だよ」といわれ、勇気づけられる。
- 島根県でのボランティアにて、福島県出身の男の子と出会う。先生から、「来てくれて本当にありがとう」といわれ、よくよく話をきくと、男の子は福島出身であるがゆえに学校に馴染めず、こっちに来てから笑わなくなっていたことを知る。福島出身である自分が来たことにより数年ぶりに笑顔を見せてくれたという事実を聞いて、衝撃が走る。福島はいつか復興するだろうと思っていた自分を恥じ、福島に住む人・来る人・関わる人すべてが笑顔になれる福島を築きたいと強く思い、福島に戻り、福島に生きる決意をする。
- 何者でもない自分が福島に戻るだけでは、福島の復興を実現する人間には足りないものが多すぎると感じ悩んでいたところに、知人から松下政経塾を教えていただく。自分の為すべきことを見極め、専門性を磨くべく、学び直す決断をする。その後、松下政経塾を受験・合格。
- 2017年1月、三井住友信託銀行を退職。
- 退職後の2月から3月にかけて、福島県内で活躍する100人と意見交換を交わす「100人プロジェクト」を実施。福島県内においても、地域によって抱える課題は様々であること、この数年間の中で、多くの福島県民が新たな魅力的な活動を展開していることを知り、福島における実態と、他県・他者からの見え方に相違があることを感じる。
⑥松下政経塾時代
- 2017年4月、公益財団法人松下政経塾に入塾。
- 松下政経塾では、人間力を磨くべく、茶道や書道などの日本の伝統精神を学ぶ研修や、毎朝塾内や近隣を掃除し地域住民との交流や自己鍛錬を行う早朝研修、パナソニック販売店での新規営業や自衛隊での研修など、多種多様な研修を積み重ねる。
- 塾生時代は、「地方自治」をテーマに国内外で研修。国内の地方自治の先進事例と呼ばれる山形県飯豊町、静岡県静岡市、福井県越前市、東京都武蔵野市などで学びを深める。
- 茨城県ひたちなか市での市長インターンでは、”市長の鞄持ち”として、基本的な立ち振る舞いから政治家としての心構え、実際に行われた政策調整の様子、政治決定がもたらす社会への好影響を肌で感じ、政治の価値を改めて認識する。
- 他にも、アメリカ・韓国・ドイツ・フランス・スウェーデン・ベルギー・オランダ・イギリスなど世界各国で研修を行い、政治分野における日本と海外の思想や文化の違いなどを文献だけでなく、自分の足で現場に行き、自分の目で確かめることを大切に活動を行う。
- とりわけ、ドイツの住民主体のまちづくり「Quartial management」に感銘を受け、これからの福島にこそ必要な考えだと思い、福島のコミュニティ施設「アオウゼ」にて、学びを生かし、実践活動を行う。
- 福島の過去・いま・未来を一緒に考えるべく、福島第一原子力発電所の廃炉視察やオンラインを活用した勉強会などを企画し、これまで国内外から50人以上の方が参加。福島第一原子力発電所事故及び廃炉への道すじに関する適切な情報発信と、住民目線の廃炉に向けた議論や理解の場をつくる。
- 2021年1月、産経新聞主催「土光杯」に出場し、「私が考える日本強靭化」をテーマに熱弁。受賞にはならなかったが、大会出場の過程で、寝る間も惜しんで原稿を何度も考え直したこと、先輩・後輩・職場の方々など多くの方に弁論を聞いてもらい意見をいただいたこと、原稿がいらなくなるくらい暗記し練習を繰り返したことなど、悔しい思いはしたが、その分、得るものもたくさんあり、良い経験となった。
- 2021年2月、卒塾フォーラム「まちづくりのためのコミュニティ施設経営」を開催。直前に福島県沖地震が発災し、開催自体が危ぶまれるも、多くのスタッフや申込者の声から「何とか実現したい」と開催形式をリアルからオンラインへと変更し、無事に230名を超える参加者の方々に動画を配信。
⑦福島市コミュニティ施設「アオウゼ」事業統括コーディネーター時代
- 2018年7月、株式会社福島まちづくりセンターにてインターン研修
アオウゼの指定管理者制度申請のプロジェクトの一員となる。 - 2019年4月、アオウゼ事業統括コーディネーター就任。年間500以上の企画を実行し、「いくつであっても今が旬」の心で、老若男女問わず、住民一人ひとりが表現し、つながりあい、実行していく場づくりを担う。
- 2020年4月、どこでもアオウゼ・チャンネルを開設。コロナ禍でイベント企画が実施できない最中でも、地域で活躍する人々の素晴らしさを動画を通じて配信。
⑧ふくしま地域活動団体サポートセンター連携・人材育成コーディネーター時代
- 福島県内のNPOをつなぐ役割として、連携や人材育成を担当。
- 中間支援センターの連携事業、インターンシップ事業のコーディネート業務を担う。
⑨SDGsアドバイザー(〜現在)
- 福島市子ども食堂NETの「SDGs宣言」を共同作成。SDGsの基礎知識の講座から団体における運用方針まで伴奏支援することで、SDGsをひとつのきっかけに、自分たちの活動やこれから実現していきたい想いなどを言語化し、チームワークや活力の醸成に貢献。この取り組みは新聞に取り上げられ、団体PRにもつながった。
- 福島市子ども食堂NET 福島市子ども食堂マイスター認定
- 他にも、福島県内の行政・企業・教育関係者を中心に、SDGsにまつわる講演活動を実施。
そんな馬場ゆうきが、なぜ国会議員に?