【ばばばんVol.36】つむぎ合うということ

色んな思いがあるからこそ

つむぎ合う社会を築きたい

つむぎ合うということ

    22日、わだかまりを残した状態で政府による処理水の放出が決定され、24日の今日、放出が開始されました。県民の皆さま、第一次産業を営む皆さまをはじめ、福島に思いを持ってくださる全ての方に、やりきれないもどかしさに申し訳なく思います。

 2015年に、政府と福島県漁連は『関係者の理解なしには(処理水の)いかなる処分もしない』と約束しました。

   関係者の理解というのは、本当に難しいことです。科学と安心は異なる中で、そもそも関係者は誰なのか、理解を得たとはどういう状態なのか等、正解のない究極の難題に、着地点を見出さなくてはならない、これは本当に難しいことです。

 処理水は国の威信をかけた事業でしたが、外交的にも内政的にも隙や混乱が度重なったことは否めません。私自身、国際・国内での理解が不十分なことから、①国際的な複数知見に基づいたデータの収集及び外交力の強化、②国内理解醸成に向けた取組の加速化を、復興・環境・経済様々な視点から国会内外で取り組んで参りました。一部進展が見られたものがあったものの、現場の気持ちを鑑みれば悔しさが募ります。

 議論した者として、日本政府が外交的かつ内政的に対策を十分に講じてきたと胸を張って言えるのか、甚だ疑問です。これでは、現場で流してきたたくさんの方々の汗も報われません。今後も変わらずに、当事者となる全ての皆さまの暮らしや生業が憂いなく歩めるその日まで、風評対策含めて、共に歩み続けさせていただきたい思いです。

 色んな立場の方がいるからこそ、つむぎ合いが必要です。誰しもが嬉しい気持ちになんてならないからこそ、つむぎ合いなのだと思います。一方に寄るのではなく、一人ひとりもまた主体者として責任があるからこそ、つむぎ合うということが、途方もない復興の道を歩んだ私たちが辿り着いた真の姿ではないのでしょうか。

 復興はまだ終わっていません。

    究極の難しい数々の課題に対して、このような 延長線の中にしか政策がないのであれば、今後復興に関わる一つひとつの政策に未来はなく、分断や諦めしか生まれないのではないでしょうか。

    展望を切り拓くことができる、つむぎ合える、覚悟ある実践者となるために、力を尽くさなくてはならない。

 そうした実践者に私はなりたい。