【ばばばんvol.31】出生率は目指すものでなく得られるもの

 6年前を思い出してみてください。2017年。突如、当時の安倍元首相は衆議院を解散しました。その名も国難突破解散です。その国難は2つありましたが、皆さま覚えていますか?

 

 北朝鮮の脅威と、少子化です。

 6年経った今、状況は好転しているのでしょうか。

 

 そもそも出生率に重きを置くこの国の少子化対策には限界があります。少子化対策と子ども子育て政策は似て非なるもので、少子化対策は、人口が減ったとしても、この地で生きる楽しさを感じながら、一人ひとりの生産性を最大限に向上させるにはどうすればいいかを考える大戦略です。リスキリングやデジタル化の促進、若者の不安を払拭する策が中心となるでしょう。

 そして、子ども子育て政策は、人口が減ろうと増えようと一人ひとりの子どもたちと保護者に「大丈夫だよ」と生まれた環境、生まれた地域、お金に関係なく自由に羽ばたかせ、本気のまなざしを育み、もって国益としていく基本的価値観です。

 この両輪が噛み合ったとき、結果として、はじめて出生率が回復してくるのではないでしょうか。

 

 決して、なんでもかんでも無償にすればいいわけではなく、具体策もないのに若者の所得を増やすとパフォーマンスに流れるのではなく、本質的に、子どもたちのため、子どもを取り巻く大人のために、子ども子育て政策と少子化対策を整理して、実行することが肝要です。

 先日、杉並教育サミットを企画・開催し、多くの方に教育にまつわる忌憚ないご意見をいただきました。現在その意見を党の政策に盛り込む動きを加速化しています。その中で、私にとって教育とは、「まなざしを育てる」ことに帰結するのではないかと考えるようになりました。

 今、先が見通せない中で、不安や失望・不信・諦めが社会を覆っています。これ以上、目の光を失ったら本当に国が終わってしまいます。

 政治家になってわかりましたが、政治は光です。必ず社会を好転させる力があります。ですが、その力を適切に作用させない限り、現場には届きません。

 

 技術はある。力もある。この30年、失ったものばかりでなく、得られたものだってあったはず。だからもっとできなきゃおかしいのです。

 

 目に光が宿れば、どんな困難も乗り越えられる

 目の光を失えば、心も社会も閉じていく

 

 1人ひとりの本気のまなざしを育むことがこの国の生命線であると、私は思います。